所長紹介

私は、1982年(昭和58年)に国立明石工業高等専門学校土木科(現:都市システム工学科)を卒業後、日本鉱業株式会社(現:JX金属株式会社)に入社、それから定年退職までの約40年間に亘り、多くのたい積場と係わってきました。これまでに見学まで含めると国内外で60箇所以上のたい積場を知ることができたことは貴重な財産になっています。

私のキャリアについて、大雑把な括りになりますが3つの時代に分けて、以下にまとめています。

《豊羽鉱山》:鉱山操業の基礎習得、たい積場の設計から閉鎖までの実務に一貫して携わった時代
《本社》:豊羽鉱山で学んだことを発揮して、会社が管理する全国のたい積場の総点検及び対策を講じた時代
《カセロネス鉱山》:チリにて新規開発鉱山開山後に発生した たい積場等の初期トラブルの改善を担った時代

現在は阪神甲子園球場に程近い兵庫県西宮市を拠点としています。

《豊羽鉱山》

1982年入社後は、札幌市南区定山渓の山奥にある豊羽鉱山に赴任、豊羽鉱山には既に休止しているたい積場が2つ(石山)と稼働しているたい積場が1つ(おしどり沢)あり、定年間近だった恩師に師事し、たい積場の基礎技術と操業管理を3年間マンツーマンでご指導いただきました。その後、新たな鉱脈の発見に伴い、おしどり沢たい積場の堆積容量を約6割(3.6百万㎥)増やすための増強計画に着手し、引退した恩師や本社の応援を受けながら、
1990年には基本設計を終え、所管行政である通産省鉱山保安監督部(現:経産省産業保安監督部)、土地所有者である国有林所管の北海道営林局(現:北海道森林管理局)・林野庁との保安林解除を伴う賃貸借契約、河川管理者である北海道及び札幌市との河川協議・申請などを行っています。

1992年からは、増強工事に着手すると共に、継続して休止を含む3つのたい積場の維持管理を行っています。

1999年には、おしどり沢たい積場の堤内堆積物の圧密を促進して堆積物の減容化を図る工法を開発しました。
これは新たに鉱さい(廃さい)を堆積するための容量を増やす増強工事とは違い、これまでたい積した堆積物の容量を脱水圧密促進により減容化(1.4百万㎥)すると言う真逆の発想からくるものであり、日本鉱業協会賞及び日本鉱業社長賞を受賞しました。

2005年には閉山(操業休止)を公式発表しますが、それに伴う事前のたい積場閉山計画策定、更に2006年閉山後にはたい積場の許認可手続き及び閉山工事を軌道に乗せて、2007年に本社へ異動しています。

《本社》

2007年から本社では、2人目の恩師に師事し、約7年に亘り会社が全国で管理する多数のたい積場の維持保全を行うと共に、海外投資案件のたい積場実行可能性調査(FS)及びチリ・カセロネス鉱山のたい積場設計支援を行っています。

2011年東北地方太平洋沖地震により発生した東日本大震災では、管理するたい積場のうち高玉鉱山(福島県郡山市)と大谷鉱山(宮城県気仙沼市)のたい積場が被災しました。私は地震発生2日後に大谷鉱山に入り、余震による2次災害防止対策を講ずると共に、以降は原因調査・自治体や住民との渉外・復旧設計・建設工事管理を2年間行っています。

被災した2つのたい積場は国の定める基準を満足していましたが、想定を超えた地震の大きさが原因だったため、2012年から会社が全国で管理する多数のたい積場のレベル2(今後想定される最大の地震動)評価を行い、併せて近年顕著となっている豪雨に対する総点検も行い、対策が必要なたい積場には対策設計を行いました。
結果的に近年の雨量増加や水路・暗渠の老朽化に伴って豪雨対策を必要とする たい積場が多い傾向にありました。

対策が必要と判断されたたい積場については優先順位を決めて2013年から順次対策工事を実施しており、2022年まで、主体的立場としてそれらの対策設計、許認可、現場管理に携わりました。

《カセロネス鉱山》

2015年には、チリにて新規開発鉱山として開山したカセロネス鉱山に赴任しました。
カセロネス鉱山は、土漠の高山に位置し、宿泊などの施設があるキャンプ地が標高約2,000m、現場事務所は標高約4,000mに立地し、毎朝7時にキャンプ地からバスに揺られて1時間で現場事務所に到着します。そこで12時間働いて、夜21時にキャンプ地にバスで戻るサイクルです。余談ですが、キャンプ地から持参したポテトチップスの袋が現場事務所では硬い風船のようになります。

ここでの業務は、開山初期課題の対応でした。
開山初期には往々にして初期のトラブルが発生するものですが、当鉱山においても対応を必要とされました。
一般論として、建設や操業管理がその設計思想を理解して取り組まなければ、現場は安定して維持できないものです。

私は、初期トラブル発生後、その解決のために「操業水と2つのたい積場」を司る部署の副部長(部長はチリ人)として、操業の安定化に努めました。この部署は、人間の生活で言うと、身体に補給する水分を安定して確保すること、トイレを安全に使用できるように現場を改善することが任務でした。
ここでは、技術云々よりも組織としての仕事の進め方に対応するのに時間と労力を要しました。
初期トラブルの原因と対策を明確にして、約2年後に帰国しています。

よく日本の方はチリの鉱山技術が劣っていると思われていますが、チリは鉱山大国であり、多くの大きな鉱山が今でも稼働しており、たい積場技術においても現状では日本より遙かに進んでいることは誤解なきように申し添えます。


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